上田瑠偉と野口五郎小屋
裏銀座、祖父が見ていた景色へ
山の写真は、たくさん残っている。
けれど、それを撮った祖父自身の写真は、ほとんどない。
いつもカメラを向ける側にいた人だったという。その人が撮った写真が、いまも山の小屋に飾られている。そして小屋には、その人に仕事を教わった人たちがいる。
上田瑠偉と歩いた北アルプスには、彼の祖父の記憶が息づいていた。
世界を舞台に戦う山岳ランナーが、レースの合間を縫ってでも訪れる場所。私たちレッドレンザー撮影チームは今回、上田と写真家・藤巻翔が続けている、祖父が撮った写真を再現するプロジェクトに同行した。
祖父が愛した景色を、自分のファンにも見せたい。その思いから、上田は私たちの同行を提案してくれた。
「いままで感動する景色を、様々な山で見てきました。でもここは、僕の親戚にとっても、僕のDNAにとっても特別な山なんです」
亡き祖父が見ていた景色を、孫が訪ねる。
その姿を、彼を長年撮り続けてきた写真家が残していく。
山に入る前から、特別な撮影になる予感があった。
2026年8月4日。集合は、上田の実家がある長野県大町市だった。
七倉から高瀬ダムへ入り、湯俣山荘で一泊。翌日は竹村新道を登って野口五郎小屋へ。夕方と翌朝に撮影し、裏銀座の稜線を烏帽子小屋までたどって、ブナ立尾根を下る。8月6日までの、3日間の山行だった。

あえて湯俣で一泊したのも、二泊三日の行程にしたのも、上田の判断だった。
すべて、重い撮影機材を背負って歩く私たちへの心配りだ。
一般的な縦走とは逆の向きに稜線を歩く。機材を背負ったクルーには、かなり厳しい行程。健脚でなければ到底無理だ。しかも、小屋に着けば終わりというわけではない。夕方には夕方の光があり、翌朝には、その時間にしか撮れない姿がある。
それでも、天気は素晴らしかった。
美しい稜線と、そこに立つ上田。重い機材を担いでここまで来た価値が、目の前にあった。
翌朝、まだ暗いうちに小屋を出た。ヘッドライトで足元を照らし、稜線へ向かった。
足元が見えていれば、次の一歩が出る。
そして私は、その写真と同じくらい、彼が山を眺める表情を覚えている。
遠くに続く稜線を見て、目を細める。
ああ、この人は本当に山が好きなのだと思った。
プロトレイルランナーにとって、山は仕事場だ。勝つために身体を鍛え、技術を磨き、自分の限界と向き合う場所でもある。
でも、それ以上に、この人は山が好きなのだ。
年に一度、私たちは上田と山へ入って撮影をしている。昨年は、同じメンバーで唐松岳に登った。あのときも、誰より山を楽しんでいたのは上田だった。

上田の祖父は、山と写真を愛した人だった。
勤めていた会社を早期退職し、野口五郎小屋や烏帽子小屋で長く働いた。山で働き、山を撮る。そうして残した写真のいくつは丁寧に額装され、いまも野口五郎小屋に飾られている。
お世話になった小屋主から、上田の祖父にごみの燃やし方から教わったという話を聞いた。
絶景の話ではなかった。ごみの話だった。そのことが、胸に残った。
山小屋には、登山者の目に触れない仕事がある。小屋を毎日動かし続けるための仕事だ。祖父が教えたことは、いまも誰かの手に残り、山の暮らしを支えていた。
亡くなったあとも、こんなふうに語られる人だった。
上田が野口五郎小屋を訪ねるのは、今回で通算5回目になるという。忙しい日々のなかで時間をつくり、祖父が過ごした場所へ帰ってくる。
彼は、幼い頃から山に明け暮れていたわけではない。小中学校ではサッカーに夢中になり、中学では陸上にも打ち込んでいた。それでも、北アルプスの麓に育ったこと、身近に山を愛する祖父がいたことは、いまの彼につながっている。

藤巻と続ける写真の再現は、祖父が何を見て、何を美しいと思ったのかを、もう一度たどる旅でもあるのだろう。
祖父自身の写真は少ない。
けれど、祖父が見ていた景色は残っている。
その景色の前に、いま、上田が立っている。
祖父が撮った写真と同じ場所に立ったとき、何を思ったのか。上田に聞いた。
「会いに来たよ、って感じですかね。ここから見守ってる気がして」

訪れた小屋では、上田を待つ人たちがいた。
予約の際、名前を伝えただけでスタッフから喜びの声が上がる。到着すれば、笑顔で迎えられる。行く先々で、写真とサインを求められる。
世界で活躍する彼に会える喜びがある。祖父を知る人たちには、また別の思いもあるのだろう。そして、繰り返し訪れる上田自身が、この山の人たちとの関係を育ててきた。
今回泊まったどの小屋にも、藤巻が撮った上田の写真集が置いてあった。撮影の舞台も、この山だ。以前、上田が写真集を背負い、ひとりで走って届けたものだという。たった1日で小屋を回ったそうだ。
祖父が撮った写真が飾られた野口五郎小屋に、いまは孫の写真集もある。
上田の振る舞いは、いつも礼儀正しい。私たちの体力に合わせて行程を考えてくれたことにも、その人柄が表れていた。
彼は、多くを語る人ではない。けれど、聞いたことには飾らずに答えてくれる。いつも本音で向き合ってくれている、と私は感じている。

『黒部の山賊』を教えてくれたのも、上田と藤巻だった。
一緒に山を歩くたびに、教わることがある。
彼の競技人生には、思うように走れない時間があった。
中学では陸上で結果を残し、駅伝の名門・佐久長聖高校へ進学した。しかし、高校の3年間は故障に苦しんだ。力を発揮したいのに、走れない。期待に応えたいのに、結果が出ない。
そのなかで、3年時には駅伝部のキャプテンを務めた。
責任感が強い人だ。一緒に仕事をしていれば、それはよくわかる。生真面目で、強烈な負けず嫌い。周囲に求める水準も高いが、自分には、さらに厳しい。
そんな彼が、走れない身体でチームを率いていた。その時間の苦しさは、簡単な言葉では語れない。
早稲田大学では、陸上競技同好会を選んだ。自分のペースで走り、回復のために休む。走ることを楽しむ。
その大学時代に出た柴又100Kが、トレイルランニングとの出会いにつながった。2014年、ハセツネCUPを大会新記録で制する。2019年には、スカイランナー・ワールドシリーズでアジア人初の年間王者に。2021年のスカイランニング世界選手権では、複合で世界一に立った。
2019年の王座の前年、彼は膝の前十字靱帯を損傷している。秋から冬にかけて、治療とリハビリに時間を使った。
休んだ先で、彼は世界の頂点に立った。
私は、この歩みを思うたびに、休むことの難しさを考える。
人一倍、自分に厳しい人が、身体を休める。勝ちたい気持ちを抱えたまま、回復に時間を使う。それを選ぶのにも、相当な強さが必要だったのではないかと思う。
今年も、彼は国内のレースで勝利を重ねている。
それでも、世界で勝ちたいという思いは続いている。世界の強豪たちと競い、もう一度、頂点に立つ。そのために、身体をつくり続けている。
今回の撮影では、その身体に目を見張った。
鍛え抜かれた脚と、無駄のない動き。写真に写る姿からも、積み重ねてきた時間が伝わってくる。
その彼が、祖父が撮った写真をたどりながら山を歩く。
稜線を眺め、目を細める。
身体には厳しい3日間だった。私たちにとっては、なおさらだ。けれど、上田にとっては、心をほどく時間になったのではないだろうか。
世界で勝つために懸命に生きている人が、故郷の山で、大切な景色に会っている。
その時間に同行できたことを、嬉しく思う。
この秋、上田は足の手術を受ける決断をした。
本人は、こう話す。
「この先10年走り続けていくうえで、競技者として上を目指すため、これからも山を楽しむための前向きな手術なので、全くネガティブに考えることはないです」
「ここ数年、じっくり練習に取り組む時間が取れてなかった気がするので、リハビリ期間もどれだけ進化できるか楽しみです」
大学で自分のペースを選んだときも、膝を痛めたあとも、彼は身体と向き合い、走りを立て直してきた。
だから、こう思っている。
しっかり休んだあとの上田は、きっと、とんでもなく強い。
世界の頂点に立つ走りに、胸が熱くなる。
祖父が撮った写真が残る小屋で、人々に迎えられる姿にも、胸が熱くなる。
レッドレンザーが彼を応援する理由は、その両方にある。私は、そのことを誇りに思う。
彼がファンに届けたかった景色を、私たちも届けたい。その景色のなかで見せた、上田の表情とともに。
瑠偉さん。
どうか、翼をしっかり休めてください。
また走り出す朝には、足元を照らします。
もう一度、世界のてっぺんに立つあなたを、楽しみにしています。
そしてまた、あの稜線で、一緒に笑いましょう。

